やまき代表取締役 チーフコンサルタント

やまき代表取締役 チーフコンサルタント 山下修平

生活者と商業空間 “共存共栄共生”
こそが真のまちづくり

やまきの開発のフィロソフィーは、
「私達が街を変えるのではなく、地元企業・商店と共に変わる」
「儲けるのではなく儲かる」です。
常に地元生活者の利益を一番に考え、
地域に見合った開発をプロデュースさせて頂きます。

安心して快適な生活を送る為に必要なコンテンツを創造し、
心身ともに健康で充実した暮らしができる環境を整え、
いつまでも住み続けたくなるまちを考える。

楽しく豊かな暮らしの実現を、そして活気にあふれる商業空間を
我々と一緒に取り戻しましょう。

代表取締役 チーフコンサルタント

山下修平

代表プロフィール

1977年 宝石鑑定鑑別の資格を取りファッションジュエリーの仕事を手がけ、すぐにジュエリーアクセサリー、ファッションアクセサリーのデザインプランニング会社を設立。
文化服装学園装苑モードのカラーフォーマルとアクセサリートータルコーディネイトできるデザインコサージュを作成。
1979年 東京赤坂でライブレストラン「リビエラ」をオープン、その他、和のナイトサロン竹生、JOY、真晃、グラン等ファッション店から飲食店舗のプロデュースを手がけ、
空間プロデュースの草分け的クリエーターとなる。
1982年 中山博行商業コンサルタントの中山氏に師事。商業全体のプロデュースに引き込まれ、5年間、中山先生のアシスタントとしてテーマ、コンセプト作り、デザイン、リーシング等の基本を学ぶ。名古屋、大阪港、八王子など地方都市の法定再開発やナショナルチェーン、GMSの出店戦略と立地、調査等を手伝う。同時期に原宿竹下通りのタレントショップ等の企画プロデュースを手がける。
1986年 株式会社やまきを設立、やまきの代表取締役チーフコンサルタントとして独立。最初の業務として大宮西口再開発の商業施設のリボーン業務着手。JACK大宮は当時大理石を使った 都市型デザインを取り除き、武蔵野美術大学生による壁面アートペインティングと原宿の小規模なファッションメーカー20社に対し日本発ファクトリー型1坪SHOP(仮設店舗)をプロデュース、又イベントライブ、祭り等を取り入れ、それまでの高級志向からヤング中心、 遊びを取り入れたショッピングセンターに変える。水戸に映画館を核にナショナルチェーンを含めた37店舗の ショッピングセンター「水戸LEAD」をオープンさせる。ここでは、店舗、話題性のベンチャー企業に少資本で出店できるような出店をプロデュースし、現在一部上場のライトオンのチェーン店舗 一号店は「水戸LEAD」からスタートした。富山駅ビル、金沢、九州、大阪、立川等、時代と共に閉店する中心市街地再生事業を数多くプロデュース。
1987年 12年前リボーンした船橋そごうでは都会的な百貨店をやめ、一階にマツモトキヨシ、大型のカテゴリー、トイザラス、Tゾーン、ダイソー等それまでの百貨店では見たことのない店舗構成、 又トレンドを意識した日本初上陸のフットロッカー、屋上には日本初3面のJリーグのフットサルガーデン等ぞくぞくと新しいものを取り入れ、その地域特性にあったデザインコンセプトを作り、 その際入り口正面に仮設店舗を作り、お客様に楽しい空間をプロデュース。その後、松山の銀天街のニチイの退店物件のリボーン、宇都宮オリオン通りのロフトの退店物 件のリボーン等、 中心市街地の核となる施設の再生をおこない中心市街地の灯りを守る。再生事業と並行して商業施設内に賑わいの場を提供する為に、株式会社イズ(仮設アクセサリーショップ)、 株式会社イーカート(ファッション系ワゴンショップ)、また、モーニング娘のキャラクターショップ「ミュージック キャラクション」を渋谷109でプロデュース。
2003年 経済産業省後援のドリームゲートカレッジでは1年間、学生や社会人に対して起業家するための専門学校の講師を依頼され、少資本でオープン出来る仮説店舗を受け持ち、 2002年に自身で立ち上げた株式会社WAOでは、成田空港民営化の際、空港内の出発ロビー、免税エリアと内外に20店舗以上の仮設店舗を出店し、起業家や企業の提案の場として出国前の方へ利便性の高いサービスの提供をおこなう。また、駅構内、ショッピングセンター等、人の集まる場所に数多く展開。 また、同時期に成田空港周辺地域において日本初、観光型商業プロジェクト「3Nプロジェクト」を企画・プロデュースする。
2010年 駅前を中心とした中心市街地活性化対策として、旧池袋キンカ堂の再生をはじめ、旧大宮ロフト、旧伊勢原とうきゅうの再生をおこない、現在、九州、関西、関東、東北等全国の 中心市街地再生コンサルタントとして、全国を忙しく飛び回る。